富山の湊街

富山の湊街 北前船・岩瀬・吉久
富山の湊街

富山の湊街

岩瀬

岩瀬港(富山市岩瀬)は古くから良港として重要視され、室町時代に編纂された日本最古の海洋法規集「廻船式目」の中で日本にある重要港湾10箇所(三津七湊)が記載され、岩瀬はその1つに含まれていました。当初は現在より西側に位置し西岩瀬とも言われ、江戸時代には富山藩領だった為、富山城の外港として藩からも保護されていました。

万治3年(1660)の大洪水により神通川の流れが大きく変わり、西岩瀬は大破しただけでなく拠点としての重要性を失った為、現在地である東岩瀬に改めて港湾を整備しました。当地は加賀藩の領内だった為、加賀藩から保護され、寛文2年(1662)には北陸道が引き込まれ宿場町としても整備され加賀藩主前田家の御旅屋や加賀藩御蔵なども設置されました。神通川舟運の拠点で北前船の寄港地でもあった為、流域の年貢米は岩瀬に集められ、ここから北前船に積み替え京都や大坂に運ばれていきました。

現在でも東岩瀬には森家住宅(旧北前舟廻船問屋:国指定重要文化財)などの豪商建築や良質な町屋建築(富山県)などが軒を連ね当時の町並みが残されています。

竹すだれ・スムシコ(簀虫籠)

東岩瀬の町並みの特徴がスムシコです。出格子に、幅7~8ミリ程度に割った竹を、3~4ミリの隙間間隔で横並びで並んでいます。

全国的に見ても、通りに面した目隠しは縦格子が多く、横並びのスムシコは珍しく、東岩瀬周辺の街でしか見られません。竹の節を並べることで、リズム感が生まれ、特長的な風情のあるデザインです。

東岩瀬の町並みは、1階がスムシコ、2階が木の縦格子になっています。

 

下見板張

5寸(15cm)前後の幅の杉板を、板の厚さ分だけ斜めにして貼る外壁仕上げを、下見板貼りといいます。鎧 ( よろい ) 貼りとも呼ばれ、重ね合わせ段々がつくデザインが特徴です。雨風の侵入を防ぎやすく、海に近い岩瀬の建物の外壁として、最適といえます。

北前船廻船問屋森家

明治11年(1878年)頃に建てられた北前船廻船問屋です。江戸時代以来の富山の町屋建築の構造を引き継ぐ貴重な建物で、国指定重要文化財に指定されています。

富山県富山市岩瀬町108

 

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造り酒屋・桝田酒造

桝田酒造は、1893年(明治26年)創業の富山を代表する日本酒ブランド「満寿泉」を展開する蔵元です。「満寿泉」は、世 界的な品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」のSAKE部門で金賞を獲得するなど、海外でも高く評価されています。5代目の代表取締役社長・桝田隆一郎氏は、富山県酒造協同組合会長を務めるほか、岩瀬まちづくり株式会社を立ち上げ、富山市東岩瀬の町並み再生にも貢献されています。

サッカーの元日本代表・中田英寿氏が架け橋となって、世界的なスコッチウイスキーブランド「シーバスリーガル」と、桝田酒造店が出会い、「シーバスリーガル」の樽で熟成した日本酒を開発しました。伝統技術を組み合わせた、新たな味わいのお酒「リンク 8888」は、数量限定で発売されています。

富山県富山市東岩瀬町269

 

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内山邸・豪農の館


内山家は、宮尾の地を新田開発してから450年続いた家柄です。富山藩時代には、富山藩主の来訪も受け、明治以降最大の繁栄をむかえた越中の豪農です。

富山県富山市宮尾903

 

吉久

吉久は、藩政時代には収納米を納める越中で最大の加賀藩の御蔵があり、船で大坂などに出荷されました。明治になっても、米を扱う商人(米商)が多く住み、米の交易で栄えた町です。旧道沿いの町並みは幕末から昭和初期にかけてのものといわれ、令和2年(2020年)に国の重要伝統的建造物群保存地区となりました。