富山の宿場町

富山の宿場町 山町筋・金屋町・八尾
富山の宿場町

富山の宿場町

高岡・山町筋

山町筋は慶長14年(1609)に富山城が焼失した事を受け、新たに前田利長の隠居城として築城された高岡城の城下町として整備された商人町です。北陸道を引き込んだ事で宿場町でもあります。その後、高岡城が廃城になりましたが、加賀藩は、重要拠点として重要視した為に、商家町の町割が維持され引続き繁栄しました。ここを中心に住まいにする10町で、高岡御車山祭を奉じていることから山町と呼ばれ、長く高岡のまちの経済を牽引してきました。

 

山町筋は、明治維新後の明治33年(1900年)の高岡大火によって大きな被害を受けました。街の再建時に、当時の耐火、防火建築が求められた為、土蔵造や煉瓦造の袖壁を持つ独特の町屋建築が建てられました。現在も、旧北陸道沿いの御馬出町、守山町、木舟町、小馬出町にかけての通りには優れた土蔵造りの家々が立ち並び、菅野家住宅(国指定重要文化財)など当時に建てられた町屋建築が町並みを形成し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

参照:高岡市ホームページ>>

土蔵造りの商家 菅野家

菅野家は、高岡の政財界をリードしてきた高岡有数の名家です。明治中期から銀行や高岡電灯、高岡紡績などを起業し、高岡の近代化に貢献する一方、政界にも進出し、高岡政財界の中心的な存在として活躍していました。山町筋にある土蔵造りの家を代表する家として重要文化財に指定されています。現在も住居として使用されています。

富山県高岡市木舟町36

参照:高岡市観光協会ホームページ>>

旧室崎家・土蔵造りのまち資料館

室崎家は、昭和20年まで綿糸や綿布の卸売業を手広く営んでいた高岡でも屈指の商家です。所有者の転居にあたって、市が土蔵造りのまち資料館として整備し、平成14年4月から一般公開しています。

旧室崎家の主屋は、東西道路に北面して建ち、その後方には中庭を挟んで土蔵が建っています。規模は、板塀を含む間口が7間、板塀を除いた間口が4.5間、奥行きが8間半で、その間取りは典型的な3列3段の通り土間型の町家です。山町筋の土蔵造りの特徴をよく留めています。
富山県高岡市小馬出町26

参照:高岡市観光協会ホームページ>>


土蔵造りの特徴である通り土間が、改造されることなく残されている数少ない町家です。

 

金屋町

高岡城下鋳物町

金屋町も山町筋と同様に、高岡城の城下町として町割された町です。築城者である前田利長は高岡の産業育成に尽力し、その一環として領内から鋳物師を集め鋳物町を町割し特別の保護を与えました。

高岡城が廃城になった後も引続き保護された為、日本有数の鋳物の産地として発展しました。現在でも金屋町には旧南部鋳造所のキューポラと煙突(国登録有形文化財)や千本格子のある町屋建築、石畳などが残り、良好な町並みが見られる事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 

八尾

諏訪町本通り・千本格子の家並み

飛騨往還の中継地でもあった八尾の町には、旅籠や酒蔵、遊郭が並び、やがて富山藩唯一の交易市場町として栄えました。そうした中で生まれた八尾商人は、後に富山藩の財政を支えるまでに成長します。山の傾斜に石を積み上げて細長く形成された坂の通りには、歴史を語る伝統的な千本格子の家並みが続いています。

おわら風の盆

毎年9月1日~3日に開催される「おわら風の盆」は、八尾町で300年あまり踊り継がれてきた「越中おわら」を今に伝えるお祭りです。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露します。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓が、静かな山間の街に響きます。